寿司はネギトロが好きです

海は遠いのか

感情の大トロ

ああ、まじで、この命、何処へ往くのか

2020年2月8日、20歳の誕生日を迎えました。

誕生日を迎えるにあたって、わたしの人生に携わって下さっているみなさまから、プレゼントやメッセージを沢山頂きました。メッセージの多くは、「『自分』という芯を持っていてカッコイイ」「強い人間で尊敬している」という内容でした。とても嬉しい言葉たち。でも、反面、実はそんなこと無いんだよ…という気持ちで、申し訳なさで、いっぱいなのです。

だって、わたしは、「わたしの芯」は、わたしの好きなモノや好きな人に影響を受けて塗り固められた、オリジナリティなんてどこにもない、他力による芯なんだ。わたしは、アンダーグラウンドにあるモノが大好きで、それに影響を受けてきた。そしてそれを真似して育ってきた。わたしの好きなモノはみんなの目にはあまり触れないから、みんなには、"それらが好きなわたし自身"が珍しく映るだけなんだよ。そして、珍しいから、それを「芯がある」と錯覚してしまっているんだよ。

わたしの芯は、全部全部好きなモノの真似なんだ。だから、わたしはわたしが生み出したんじゃないんだよ。みんなが思うわたしが20年で創りあげた芯なんて、虚像。

あと、「強い人間」だなんて思われてるけど、プレゼントの高いコスメで、顔面と外装だけが強くなっていくだけなんだ。もちろん高いコスメで自分の気持ちを強く保つのは大切。中身はすっからかんで、まったく伴ってない。周りのみんなからわたしという人間が「強く見え」ているのは、自分では自分を護れないから、好きな人の音楽や言葉で虚勢をはっているからなんだよ。弱いよね。

 

今まで20年わたしを創ってきてくれた、音楽や、人やモノには感謝している。これからももちろんお世話になるつもりだ。

でも、"わたしの好きなモノ"を"わたし"に塗り替えすり替えるのは違うんじゃないか?

じゃあわたしってなんなんだ?まだなんもない。まっさらじゃないか。

人は、少しは好きなモノに影響や刺激を受けて、それを生活に取り込んで生きていると思う。でも、わたしは、誰の真似でもない"わたし"を確立したい。それが、本当のわたしだし、それはそれは、真の強い人間だろう。そのあとで、誰かに真似されることは構わない。寧ろ影響を与えていたい。ただ、尖端の果てしなく先端で居たい。

今までわたしを創りあげてきた好きなモノたちをベースとして、今度はわたしがわたしを創りあげていく番だろう。誰かの真似ではないわたしを。

 

このことに気づいてしまった20歳駆け出し、まだまだ死ねないのでは無いだろうか。誰かの真似で終わるのなんて、絶対に嫌だ。

どうやって自分を創りあげるか、見当もつかないですが、努力が必要なことはわかるなあ。20歳、アホみたいな事しか言えないな。でもまっさらなんだから仕方ないなと思う。早く"わたし"に会いたいな、わたしが会いに行くしかないのだけれど。

いったいわたしはどこに居ますか。何処へ往きますか。海は遠いですか。朽ちては果てぬ、この命。